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エッセイ:君が君のことを 好きでありますように

< 君が君のことを 好きでありますように > 2005.6.10

 私は、もともと反省するのが好きだ。というか、自分の事が気に入らない。
幼い頃から、そうだった。
 小学生の頃、確かに友達も多く、いつもみんなに囲まれて笑っている・・
それが私の印象だったと思う。通信簿の右側のページ・・・生活態度などの欄は、
いつも良い事が書かれていた。忘れ物が多いという以外は。しかし、その頃の
自分の何がキライって、人にすぐ合わせてしまうのだ。八方美人という言葉
はまだ知らなかったけれど、その言葉通り、すぐにみんなの意見に同調して
合わせてしまう自分がいた。
 「公園に行こうよ。」
 「うん、いいね。」
でも、心の中では、家で遊びたいと思ってる。
ひどい時は、Aちゃんの悪口を言うBちゃんに同調して、別の場面ではBちゃん
の悪口を言うAちゃんに同調してしまう。いったい、私はどっちの味方なの?
自分でも解らない。そんな自分が大嫌いだった。

 大学生になって、人にあわせ過ぎることはかなり減った。というより今度は
全く逆で、人と違う事ばかり選んでするようになった。だからといって、そう
いう自分が好きだったとは決して言えない。ただ、これまでの自分におさらばし
たくて、もがいていただけなのだから。

 そこには、やっぱり大嫌いな自分がいた。自分の顔かたちに始まって、煮え
切らない性格とか、何かをやり遂げられない根性のなさとか、そんな自分が
許せない。努力をするということは知っているので、その自分の理想という
桃源郷に向かって、思いは必死。けれど現在の自分は大嫌いなまま、時間が
過ぎていった。

 大学を卒業して、バイトしながらヘヴィーメタルのバンドをやっていた頃
の事。ベースの男の子が
「俺、高校生のときにすごく助けられたっていうか、感動した曲があるんだ。」
そう言って、その歌詞の一部を教えてくれた。

-君が君のことを 好きでありますように
   僕が僕のことを 好きでありますように-

涙が出た。私は私のことがずっと嫌いだった。ずっとずっと許せなかった。
私は、私のことを好きになれるのだろうか。

「だれの曲なの?」
「加川良っていうフォーク歌手。」
「今も歌ってる?」
「うーん、たぶん。」

 どうしても音源が聞いてみたいと言ったけれど、彼は何も持っていなかった。
そんな頃、仙台の南にある白石方面に加川良さんがライブにくるという話を聞
いた。それも、たまたまだった。以前、白石方面のライブを企画してくれたアマ
チュアバンドのリーダーが電話をくれた。
「ヘヴィメタやってる冴理ちゃんには興味ないかも知んないけど、すんごいアー
ティストが来るんだよ。仲間で企画したんだ~。」
「へぇ~・・誰ですか?」
「加川良っていうんだけどね。」
「行きます。行きます、行きます!」
「え?・・あ、来る?分かった。じゃ、チケット取っとくね。」

 私は、すがる様な思いで、仲間と車で出かけた。小一時間で着いた会場は、
小学校の体育館のような場所。前座に、地元のフォークグループが出演。なん
だか、懐かしい雰囲気。久々にアコースティックな気分。
 そして、加川さんの登場。ジャーンとギターをかき鳴らしただけで、鳥肌が
立った。これは、何なのだろう。これまで、前座に出たグループは何人ものギ
タリストがいて、同時に弾いていたのに、音圧というか何かが違う。差し迫っ
てくる緊迫感・・・凄い。そして、声。そのパワーは、言葉にできないほど胸に
入ってきた。
ライブも後半。あの曲は、歌わないのかな。残念だなぁ・・・。
 がっかりしていたら、アンコールに答えて部分的に歌ってくれた。代表的な
曲を数曲、メドレーにしてくれたようだった。

君が君のことを 好きでありますように
僕が僕のことを 好きでありますように
  悲しい時は 悲しみなさい・・・

 私は、私のことを好きになりたいと思った。好きな自分になるために、努力
している自分も“自分”なのだから、その自分を好きでいたい。キライな自分か
ら少しでも好きな自分になるために、歩いていこうと思った。
 ちょっとだけ、生きてくのが楽しくなった気がした。泣きたい時は泣けばいい、
それで私の人生が終わるわけじゃあるまいしって、加川さんは私に歌いかけてく
れたもの。
 私が幸せだと感じる時、私は私のことが好きでいられる時だ。嫌いな自分を理解
する事も、受け入れる事も、自分を好きでいられるための一歩かもしれないと思え
るようになった。

 ふと、今日はあの頃の事を思い出した。あの曲が聞きたいな。やっぱり、生で。
今聞いたら、また違ったものを受け取るかもしれないな。

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Category : エッセイ
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'00. 2.15 空

私は、空が好きです。

どんな時も、空を見上げると、とても落ち着いたり
暖かい気持ちになったりするんです。

私には、いくつかの風景があります。
心の空の風景が・・・。

その中の一つが、入院した病院の窓から見た
四角くて小さな空の風景なのです。

ちょうど、ジャズを歌うという仕事を始めて
2年目になろうとする頃でした。

とにかく何でもやりたい時でしたので、
ジャズのライブハウスを掛け持ちしたり、
弾き語りの仕事をしたり・・・・。

そんな時、「ポリープ」になってしまったんです。

もちろん発声も自己流でしたので、
喉にも負担がかかっていたと思いますが、
とにかく休む暇がなく、風邪をひいても無理して歌ってしまって・・・

入院した病院というのは、仙台でも街の中心地にある所で、
歌っていたすべてのお店からも、歩いて数分でした。

「入院中、飲みに来いよ !」
などと、お客さんやミュージシャンから言われているのを
知ってか知らずか、母は入院した日にさっさと靴を持って帰りました。

入院してすぐに、パジャマに着替えます。
それはまるで儀式の様で、その日から私はカゴの鳥という立場に
甘んじて生きていける事を教えてくれました。

私のベットは窓際で、外が一望に・・・とは言っても、そこは中心地。
ビルとビルの間にほんの少し山が見え、
その上には東北大学の工学部の校舎がありました。
空はその上に広がり、縦長の長方形の空でした。

入院して2日後、私は手術を受け、20日間の沈黙を言い渡されました。
初めは苦痛だった沈黙も、規則正しい生活も
慣れてくれば、快適でした。快適・・・というより
日々の生活の怒涛のような流れからの開放感でしょうか。

毎日が、微笑みと穏やかな感情の中、流れて行きました。
拘束が実は安息をくれるなんて思いもしなかった私でした。

毎日2冊の本を読み、自分の中の自分と話し・・・
目を上げるといつもそこに空が横たわっておりました。

たくさんの色彩を持った空は、私の感情と共に
色を変えているようにさえ思えてきました。

それまでの私は、自分の信じた事に一心不乱に走り続けており
こんなふうに時を過ごす事を嫌っていました。

自分は一輪車のような生き方しかできないと思っていましたから
1日に数分でも空いた時間があると、不安でたまらないので
私のスケジュール帳は、いつも真っ黒でした。
まるで、若い漫才師が間を取る事をせずに話し続けるように・・

だから、もしかしたら・・それがはじめて私が
たくさん空を見た時だったかもしれません。

入院した部屋には、私のほかに3人の女性がいました。
一人は上品なおばあちゃん、そして一つ年下で誕生日が同じ
スポーツクラブのインストラクターをしている子。

もう一人は交通事故で一年近く昏睡していたという20歳の子でした。
みんなそれぞれ人生があるんだなあと、
まるで小説を読むようにみんなの話を聞いていました。

何しろ、ノートで話しているので、
自分について多くを語れなかったのです。

ノートで話すとういう体験は、いつものお喋りが
いかによけいな言葉を話しているかを教えてくれました。
(ホントですよー ! 一度お試しあれ・・)

「明日、声を出していい日だよ、良くがんばったね。」
先生にそう言われ、言葉なく笑ってみせたものの・・
私の中に大きな不安が広がってきました。
もしも声が全く出なかったら・・・。

次の日の夕食後、私は廊下のつきあたりの椅子で
ぼんやり座っていました。

ちっとも思うように声が出ないのです。
かすれているだけじゃないんです。
ヒューと息が抜けるみたいで、
声帯をかすってしまっているようなカンジ・・・。

「座って、いいかしら?」
振り返ると、同じ部屋のおばあちゃんと、20歳の子が立っていました。

私は、声を出さずに仕草でどうぞと椅子を勧めました。

「どうしたの?声出してもいいのに・・・」

おばあちゃんの声に、 「だって、出ないんです・・・。」
私は、声とは思えないような音を発しました。

「あら、出てるわよ、大丈夫。」

「でも・・・」 私は、声を詰まらせてしまいました。

私の街が、だんだん滲んできました。
ライブハウスの明かりはあのあたりかなぁとぼんやり思いながら・・・


「今は駄目でも、きっと出るようになるわよ。
でも、ねぇ、ちゃんと解るわよ、あなたの言ってる事。」

おばあちゃんの優しい声に、私は心底、
ここから出て行きたくないと思っていました。

ベットに戻って、閉めてしまったカーテンをめくって外を見ました。

クリスマスの近い仙台は、もう冬景色。
真っ黒の地面にちらほら雪が降ってきました。
空は夜色になって、私を見ています。

私を見守ってきた、長四角の空とも明日でお別れです。
そう、明日は退院の日なのです。

こんな状態なのに、外に放り出すなんて・・・。

恨めしいようなキモチが、だんだん大きな不安に変わり、
この生活が、いかに甘美でニセモノだったか思い知らされました。
空・・私がそこから見ていた空は、ガラス越しのフィクションでした。

小説が大好きになったこの20日間。

本当の人生が、小説よりもドラマチックで
苦しく美しいものという事も知りました。

体に入れた人工の内臓のせいでもう二度と走れないと言った、
20歳の子は、同乗していた友人が死んだのを知らず、
1年間眠りつづけました。

生死をさまよう手術の際、胸を切った時の傷を
綺麗にするために入院していました。

午前11時・・・母が買ってきた真新しい外の服に着替えると、
私の退院という儀式が始まって終わりました。

20日ぶりの外の空気は、さわやかで少し厳しく感じました。

空は相変わらず、私を包んでいました。

ガラス越しではなく、直接・・・・。

'00. 2.15

Category : エッセイ
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'00. 2. 7 百尺観音

百尺観音って聞いたことありますか?
おそらくご存知ないと思うんですが、福島県の相馬市という所にあるんです。

私も、行ったのは一度きり。
その後どうなっているのかも知らないのですが・・・

私がそこに初めて行ったのは、ちょうど 「ヘヴィメタ・バンド」 に
没頭し始めた頃でした。

コンテストなどで優賞などするものの、いまいち思うようにいかず、
悩んでいた時、バンドでパーティの仕事をした時に知り合った、
設計会社の社長さんが、「それなら、いい物を見せてあげましょう」
と連れて行ってくれたのが仙台から車で小1時間の相馬という所でした。

行きの車の中、私の友人としてずいぶん悩みを聞いてくれながら、
こんな話をしてくれたのです。

相馬という所に一人の彫刻師がいて、お寺の仏像やら観音様など彫っていた。

ある時彼は、このまま一生を終わっていいのだろうか?・・
小さな作品もいいが、一生かけて大きな作品を作りたいと思い、
ぱったりと神社やお寺からの仕事を辞め、
崖を切り崩して、大きな観音様を作り始めた。

彼の生活を支えたのは奥さんで、働きに行って食べる分だけ稼いで
・・・と、苦しい生活だった。

そして、完成途中で彼は死に、その息子が後を継いだ。
その息子もこの世にはいなくて、その観音様は百尺で止まった
ままになっている。

二代にわたっても完成しなかったという、百尺観音。

「音楽を始めて、何年です?」

「バンドを始めて三年ぐらいです。」
私は、小さな声で言った。

「ある有名な絵描きは、95歳で亡くなる時、後2年あったら
自分の芸術は完成していたのに・・・と言って亡くなったそうです。
まだまだじゃないですか。百尺観音は、もっと年月をかけても
完成せず、そのままになっているんです。」

なんだか、情けなくなって泣けそうだった。

初めて見る百尺観音は、京都などで見る仏像や観音様と違って、
華やかさはなく、仰々しく奉られてもいませんでした。
ただ小さな立て札に説明文があり、賽銭箱がこじんまりと
備え付けられていました。

それでも、なんとも言えない優しい表情は、今も心に残っています。

それから、何か焦ったり、小さな事で悩んだりすると
あの観音様のことを思い出します。

いつかもう一度、あの場所へ行くことがあったら、
たくさんお礼を言いたいと、思っています。

<'00. 2. 7>

Category : エッセイ
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'99. 4.21 インターネットってすごいよネ!

久しぶりに、昔のバンド仲間の一人に電話をしました。
いろいろ話をした後、「冴理、メールやってないよね!?」 という問い。
(やってないよね・・・が面白いでしょ?)

「やってるョー」・・といったら、早速、ホームページも見てくれて、
またまた昔のバンド仲間にメールしてその人からもメールがきました。

? 「冴理、相変わらずがんばってて、嬉しい」って。
「昔と全然変わってないけど、不老不死の薬やってるの?」
という問いも・・・(笑)
?
初めて自分のオリジナルをやったバンドのメンバーなんだよね。
第一曲目が、ポプコンの東北大会に出る事になって・・・。
そういえば、そのステージでは、当時高校生だった・・
小比類巻かおると一緒だったっけ。

? 今聞くと笑っちゃうほど幼い詩と曲なんだけど、
やっぱり歌い続けるのが夢・・なんて言う内容なんだなあこれが。
忘れちゃってたけど、思い出しちゃった昔の仲間からのメールで。
?
「一昨年、ジャズべ買っちゃった・・・」
と書いてくれたけど、 絶対やりなよ。
どんな形でも、音楽してってね!

<'99. 4.21>

Category : エッセイ
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'95.11. 5 ジョージア・オン・マイ・マインド

この曲には、二つの思い出があります。
そのうちの一つを、今回は書きたいと思います。

バークレー音楽院に行っていた時の事です。
いろんな授業がある中、グループレッスンというのがあって、
一回のレッスンで、3人づつみんなの前で歌って、
お互いに批評し合う・・というものでした。

初めての日、私は聞き役だったのですが、3人目に歌った黒くて
大柄な女の子の「サマータイム」を聞いてブッ飛んでしまいました。

やっぱり血が違うんだ・・としか言いようのない凄い迫力の声。
次の週は私の番が回ってく・・そう考えただけでユーウツでした。
何しろポリープの手術をして、1年半しかたっておらず、
歌に復帰して1年足らずだったのです。

一週間は、あっという間に過ぎ、私は何を歌うかも
決めてないまま、レッスンに出ていました。
次は私の番という時、全てがふっきれました。

うまく思われたいとか、カッコ悪いことしたくないとか、考えるのはよそう。
もともと私には、一生懸命歌うって事しかないじゃないか
…と開き直ったのです。

その時選曲したのが、「Georgia on my mind」 でした。

たぶん声もひどいし、発音も悪いしで、あまりほめられた 
ものじゃなかったはずなのに、歌い終わったとき・・
みんな立ち上がって、大きな拍手をくれたのです。

例のサマータイムの女の子は、何と私を抱きしめて、
「Great!」 ・・とか、いろんなことを言ってくれました。
(あまりの事にボーッとなって、私の頭の翻訳機能が停止してました)

それからというもの、歌うたびに思い出すのが、
あの時の黒い女の子のがっしりとした腕と、
あの時胸に込み上げた「熱い思い」なのです。

<'95.11. 5>

Category : エッセイ
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